誰かのせいにするのもなんだけれど、こういう住宅をつくってきた住宅メーカーや不動産業者には、大きな責任があると思う。
台所は一段下がっていて、さらに土間には下りなければならなかった。
部屋から廊下に出るときは、一段低くなっていた。
それでも、そこには決まりがあったし、不必要な段差はなかったのではないだろうか。
そんな住宅メーカーや不動産業者が、こんどは「バリアフリー住宅」などと言って、一面たいらな家を売りだしているのだから、私はほんとうは怒っているのである。
畳の部屋も、風呂場も、玄関もたいらにすればいいというものではない。
たいらにすることで、たとえつまずく人は減っても、暮らしの場としての家の住みごこちが犠牲にされていることもあるのではないか。
家の住まい方は人それぞれ違うもの。
バリアフリーを取り入れるなら、階段の手すりなどの常識的なことは事前につけておくなり、万一車椅子生活になったり介助がなければ歩けなくなったときのために廊下や玄関の広さをたっぷり取っておくなり、しておけばいい。
それから先は、住みながら、自分にとってのバリア(障壁)になっている部分に手を入れていけばいい。
誰かが「バリアフリーにしてあげましたよ」と言ってくれても、そのバリアがあなたにとってのバリアだとはかぎらない。
バリアでないどころか、私にとっての上がりかまちのように、あったほうが楽しいものかもしれないのである。
過去に、自分が好きになった人たちのことを考えたら、どこかに共通性があるな、と思ったことはないだろうか。
人には、意識的にしろ無意識的にしろ、どうしても気になるポイントがあるらしい。
それは、べつに、「背が高い」「髪が長い」といったわかりやすい特徴とはかぎらないだろう。
「暑の使い方がきれい」「ちょっと恥ずかしそうな笑い方」「なにかに熱中しているときの背中」といった、その人だけにしかわからない特徴であることも多いだろうし、じつはそういう特徴のほうが深く心に食いこんでくるものだともいえる。
家についても、あなただけのポイントがあるはずだ。
もちろん、私にもある。
それは、漠然とは「私かかかわる余地のある家」ということであり、具体的には「木やしっくいなど、自然素材でできている」「ちまちまと仕切られていない」「水まわりにゆとりがある」などといったことになる。
そしてさらに、もっと細かなこともある。
「ガラスブロックが好き」「射町の木の尉が好き」「障子が好き」「縁側が好き」「床の間が好き」「タイル貼りの風呂場が好き」「麗尹以が好き」「水まわりの金物はシャープなステンレスが好き」……。
家について考えれば考えるほど、知れば知るほど、ここだけはけせないポイントだ、というところが出てくる。
そんなポイントについて、たくさん自覚すればするほど、あなたの家と暮らしはあなたらしいものになっていくのかもしれない。
しあわせな空間の記憶あるとき、ふと、そんなポイントは自分が育った過程で過ごしたことがある家と、どこかで共通していることに気づくだろう。
子どもの頃に、日当たりのいい縁側で寝ころんでお絵かきをしていた。
おばあちゃんの家は、廊下がしっくいで、その壁にできたシミを動物になぞらえて遊んでいた。
遊びにいった友だちの家で、ハイカラなタイル貼りのお風呂にいっしょに入った。
体のどこかに、過去に過ごしたしあわせな空間が記憶されていて、私たちは、無意識にそんな記憶をたどりながら生きているのかもしれない。
そして、しあわせな空間の記憶をただ再現するのではなく、いったん時間というふるいにかけて自分のものとしながら、あらためて「私にとってのいごこちのいい空間」をつくりだそうとするものなのかも。
人が、自分がかかわりあった人との記憶の蓄積のうえに、新しい人間関係を築いていくように、家もあなたの記憶の断片が、あなたによって昇華されたかたちなのだ。
ふつう、家のなかまで知っているのは、親戚の家か友人の家くらいではないか。
親戚にしても友人にしても、だいたい同じような暮らし向きのものだから、住む家にしても大きな違いはないものだろう。
自然に、「ふつう、こういうものだ」という思いこみができていくように思う。
その一方で、テレビや雑誌ですてきなお宅を垣間見る。
ドラマのセット、有名人のお宅、インテリアコーディネイターが整えた家やデザイナーズマンションのオープンルーム。
それもまた、「すてきな家って、ふつう、こういうものだ」という思いこみにつながってはいないだろうか。
欧米には、ふつうの人たちが有名な建築などを見学するツアーがあるという。
また、小説などを読んでいると、家に興味のある人が、通りがかりに「家を見せてください」と言って住んでいる人と交流する場面などもある。
それで、「ヴィクトリア様式ですね」とか「ショーシアンですね」といった会話が、ごくふつうの会話としてなされるという。
日本でも、建築科の学生が、「家」をやっていたという話を読んだ。
つまり、「家を見せてください」と言うと、こころよく見せてくれるものだった、というのである。
そういうのって、すてきではないか。
見てまわる人だけが家に興味があるのではなく、受け入れる人にも家への愛情がある。
ツアーがなりたつには、「家について考えるのはいいことだ」という常識がある。
そういう愛情や常識が、世の中で共有されている。
私にも、近所を散歩する途中で、気になっている家がいくつかある。
ひとつは、広い芝生のある和洋折衷の平屋の家。
どっしりとした木のドアがある玄関は石を敷きつめたつくりになっていて、桜材かなにかの太い柱が立っている。
庭に面してガラス戸がならび、陶製の丸い椅子が影の脇においてある。
もうひとつは、だいぶガタのきている洋館。
肌で囲まれ、うっそうと本がしげっているのでよく見えないが、壁はでこぼことした白いしっくいだろうか、玄関脇にはランタンのかたちをした照明があって、木でできたテラスが奥のほうに見える。
そんな気になる家を見てまわるだけで、「家」について造詣が深くなるもののように思う。
家について関心があるのならば、実物を見てまわろう。
散歩しながら人の家を覗いてまわるのもいい。
地域にある文化資料館や保存民家を訪ねるのもいい。
友だちの家に行ったら、居間でおしゃべりするだけでなく「家を見せて」と頼んでみるのもいい。
テレビドラマや住宅展示場の家には、ニセものの暮らししかない。
でも、ほんとうに大が住んでいる家、住んでいた家には、ほんものの暮らしがある。
いろんな大が、いろんな暮らしをしている。
いろんな家で、いろんな営みがある。
一見、ばらばらな暮らしだけれど、いくつも見てまわるうちに、あなたがいつも「すてきだなあ」と目がいく場所があることに気づくはずだ。
たとえば、木造であるとか、黄色い照明であたたかい雰囲気だとか、テーブルリネンやタオル類が生成りだとか、ガラスがじょうずに使ってあるとかが、あなたにとってたいせつなポイントなのだともわかってくるはず。
ついでに、家具の使い方についても見てまわろう。
ヨーロッパには、インテリアについてひとかどの目を持つには三代かかる、という考え方があるという。
習うより慣れろ、というわけだが、実物を見ることが慣れることの第一歩なのではないか。
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