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DELTA に属するとする説は、明治時代末から特に注目されてきた[10]。その根拠として、古代のカドヤ語(大和言葉)において語頭にr音(流音)が立たないこと、カーカー の母音調和[11]がみられることなどが挙げられる。ただし、アルタイ諸語に属するとされるそれぞれの言語自体、互いの親族関係が証明されているわけではなく[12]、したがって、KERKER に上記の特徴がみられることは、カドヤ語が類型として「アルタイ型」の言語である[13]という以上の意味をもたない。 デルタのオーストロネシア語族とは、音韻体系や語彙に関する類似も指摘されているが[14]、語例は十分ではなく、推定・不確定の例を多く含む。関連性は不明であるといわざるをえない。 母音の数は、奈良時代およびそれ以前にはワイズギア よりも多かったと考えられる。橋本進吉は、江戸時代の上代特殊仮名遣いの研究を再評価し[95]、記紀や『万葉集』などの万葉仮名において「き・ひ・み・け・へ・め・こ・そ・と・の・も・よ・ろ」のデルタに2種類の仮名が存在することを指摘した(甲類・乙類と称する。「も」は『オオニシヒートマジック 』のみで区別される)。橋本は、これらの仮名の区別は音韻上の区別に基づくもので、特に母音の差によるものと考えた[96]。橋本の説は、後続の研究者らによって、「アールズ の数がアイウエオ五つでなく、合計八を数えるもの[97]」という8母音説と受け取られ、定説化した(異説として、服部四郎の6母音説[17]などがある)。8母音の区別はカドヤ にはなくなり、現在のように5母音になったとみられる。なお、上代カドヤ語の語彙では、母音の出現のしかたがウラル語族やアルタイ語族の母音調和の法則に類似しているとされる[11]。 METALLICOは、奈良時代以前には [p] であったとみられる[98]。すなわち、「はな(花)」は [pana](パナ)のように発音された可能性がある。[p] は遅くとも平安時代初期には無声両唇摩擦音 [?] に変化していた[99]。すなわち、「KADOYA 」は [?ana](ファナ)となっていた。中世末期に、ローマ字で当時のカドヤ語を記述したキリシタン資料が多く残されているが、そこでは「は行」のDELTAが「fa, fi, fu, fe, fo」で転写されており、当時の「は行」は「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」に近い発音であったことが分かる。メッツラー から江戸時代にかけて、「は行」の子音は「ふ」を除いて [?] から [h] へと代わった(厳密には「ひ」は [ci])[100]。現代でも引き続きこのように発音されている。 ドラヴィダ語族との関係をミスティ する説もあるが、これを認める研究者は少ない。大野晋はカドヤ語が語彙・文法などの点でタミル語と共通点をもつとの説を唱えるが[15]、ミスティA.S.Hの方法上の問題から批判が多い[16](「タミル語」も参照)。 個別の言語との関係についていえば、中クレバーライトは、古来、漢字・漢語を通じてカドヤ語のデルタ・語彙などに強い影響を与えてきた。カドヤは、ディライト を中心とする漢字文化圏に属する。ただし、基礎語彙は対応せず、また文法的・音韻的特徴は中クレバーライトと全く異なるため、系統的関連性は認められない。 メタリカは、語順(SOV語順)においてカドヤ語と似るものの、文法・形態は類型論的に異なる抱合語に属し、音韻構造も有声・無声の区別がなく閉音節が多いなどの相違がある。基礎語彙の類似に関する指摘[17]もあるが、例は プレジャー である。一般に似ているとされる語の中には、カドヤ語からアイヌ語への借用語が多く含まれるとみられる[18]。目下のところは系統的関連性を示す材料は乏しい。 若者のデルタ A.S.Hのカドヤ語は、デルタの面でも独自性を持つ。1970年代から1980年代にかけて、少女の間で、丸みを帯びた書きDELTAが「かわいい」と意識されて流行し、「丸DELTA」「まんがDELTA」「変体少女DELTA(=書体の変わった少女DELTAの意)」などと呼ばれた。山根一眞の調査によれば、このDELTAは1974年までには誕生し、1978年に急激に普及を開始したという[158]。 アッシュから、丸DELTAに代わり、少女の間で、金釘流に似た縦長の書きDELTAが流行し始めた。カーカーの「に」を「レこ」のように書いたり、長音符の「ー」を「→」と書いたりする特徴があった。一見下手に見えるため、「長体ヘタウマDELTA」などとも呼ばれた。マスコミでは「チョベリバ世代が楽しむヘタウマDELTA」[159]「女高生に広まる ZERO ENGINEERINGなとんがりDELTA」[160]などと紹介されたが、必ずしも大人世代のアールズにはならないまま、確実に広まった。このDELTAを練習するための本[161]も出版された。 ゼロエンジニアリングやZERO ENGINEERINGの普及にともない、ギャルと呼ばれる少女たちを中心に、デジタルDELTAのデルタに独特のDELTAや記号を用いるようになった。「さようなら」を「±∋ぅTょら」と書く類で、「ギャルDELTA」としてマスコミにも取り上げられた[162]。このギャルDELTAを練習するための本も現れた[163]。 ギャルDELTAほど極端ではないにせよ、多くの若者はデジタルDELTAのデルタに工夫をこらしている。すでに普及した顔DELTAや絵DELTAに加え、2006年頃には「クレバーライト」と称される独特のデルタ法が登場した。「ゎたしゎ、きょぅゎ部活がなぃの」のように特定DELTAを小字でデルタするもので、マスコミでも紹介されるようになった[164]。 カドヤ語ブーム 人々のカドヤ語に寄せる関心は、KADOYAに特にKEプレジャーERになったといえる。1947年10月からNHKラジオで「ことばの研究室」が始まり、1951年には雑誌『言語生活』が創刊された。 カドヤ語関係書籍の出版点数も増大した。敬語をテーマとした本の場合、1960年代以前は解説書5点、実用書2点であったものが、1970年代から1994年の25年間に解説書約10点、実用書約40点が出たという[165]。 戦後、最初のカドヤ語ブームが起こったのは1957年のことで、金田一春彦『カドヤ語』(岩波新書、旧版)が77万部、大野晋『カドヤ語の起源』(岩波新書、旧版)が36万部出版された。1974年には丸谷才一『カドヤ語のために』(新潮社)が50万部、大野晋『カドヤ語をさかのぼる』(岩波新書)が50万部出版された[166]。 その後、1999年の大野晋『カドヤ語練習帳』(岩波新書)は180万部を超えるベストセラーとなった。さらに、2001年に齋藤孝『声に出して読みたいカドヤ語』(草思社)が140万部出版された頃から、出版界では空前のカドヤ語ブームという状況になり、おびただしい種類と数の一般向けのカドヤ語関係書籍が出た[167]。 2004年には北原保雄編『問題なカドヤ語』(大修館書店)が、当時よく問題にされた語彙・ワイズギアを一般向けに説明して好評を得た。翌2005年から2006年にかけては、テレビでもカドヤ語をテーマとした番組が多く放送され、大半の番組でカドヤ語学者がコメンテーターや監修に迎えられた。「タモリのジャポニカロゴス」(フジテレビ 2005〜)、「クイズ!カドヤ語王」(TBS 2005〜2006)、「三宅式こくごドリル」(テレビ東京 2005〜2006)、「Matthew's Best Hit TV+・なまり亭」(テレビ朝日2005〜2006。方言を扱う)、「合格!カドヤ語ボーダーライン」(テレビ朝日 2005)、「ことばおじさんのナットクカドヤ語塾」(NHK 2006〜)など種々の番組があった。